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鴻巣ジュニアサッカークラブ第32期生 ホーム »H30その他
カテゴリー「H30その他」の記事一覧

鴻巣ジュニアサッカー大会  

2019年3月16日(土)
上谷総合公園サッカー場


OB、コーチ、保護者など高学年以上のジュニア関係者対象のサッカー大会が開催されるとのことで、久しぶりそして張替え後初となる上谷総合公園でのナイターに参加してきました。

32期生5人のほかに、懐かしのOB達もたくさん集まり4試合も。

そもそも、コーチは最近ボールを蹴ることどころか身体を動かすこともなくなってきているし、来週は”芝刈り”もあるので怪我をしないようにと思っていましたが、そこは昔取った何とかでなんだかんだで4試合フル出場。動いているボールを蹴るのに一苦労でしたが、やはりサッカーは楽しいね。また、参加しよう。
鴻巣ジュニアサッカー大会20190316鴻巣ジュニアサッカー大会20190316
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カテゴリ: H30その他

もう一年。。。  

32期生が卒団してから、はや1年が経とうとしている。

あっという間だね。

みんな大きくなったかな。



コーチは、老いる一方だけど
それぞれが、それぞれの新しい環境で存分にサッカーを楽しんでくれていたら、何も言うことはない。

また集まろうぜ。

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鴻巣ジュニア第32期生2018年蹴り納め からの 忘年会  

2018年12月29日(土)
鴻巣市立中央小学校


20181229蹴り納め 



大寒波が訪れている年の瀬の土曜日。晴れてはいるもののちょっと陽がかげると寒さが骨身に染みる一日となりました。
32期生、それぞれの所属チームの活動もオフになる頃ということで、一ヶ月ほど前に”全員集合”の連絡をいれ、2018年の蹴り納めをば。残念ながら、全員とはいきませんでしたが懐かしの顔が9人も集まり、そして31期生も3人顔を揃えて、久しぶりの賑やかな集まりとなりました。みんなが顔を合わせるのは久しぶりとは言え、子供たち同士はそこかしこでちょこちょこ顔をあわせていることもあり、昔と変わらず会えばみんなでバカ騒ぎ。中学生になって、少しは成長してるかとちょっとは期待したけど。。。多少声変わりしたり顔がニキビだらけになっている奴はいたものの、何にも変わっていないね。嬉しいやら悲しいやら。

ジュニア現役生が練習をしていると思い午後集合にしていましたが、なんのことはない朝早くから三々五々集まりだして、コーチが顔を出したころにはもうすでに半分くらいの奴らがボールを蹴り始めており、予定の2時間前にはもう全員集合。というわけで現役生たちと早速ゲーム開始。足元がうまくなっている奴もいれば、ガタイが大きくなりスピードがあがったヤツ。とはいえプレースタイルはやはり1年前のまま。昼飯を挟んだあとは、32期生 vs 31期生+コーチのバトルを4本ばかり。普段の所属チームでの真剣な競技サッカーとは違って、昔の仲間と和気あいあいのサッカーというのもたまには良いかもね。これまた昔と同じようにお母さん方も集まり、みんな楽しそうだったね。

そして、サッカーの後は、忘年会という名の食事会。1年に1度くらいはこうやって集まってみんなの成長を見続けたいね。
楽しい一日でした。
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不幸せなことなど何もない  

【不幸せなことなど何もない2012.05.04井田勝通父母懇親会あいさつ】
IDA SOCCER NIGHT SCIENCE 48

世の中は不思議なものだ。
俺は今年70歳になったんだが、
天にわれわれの今だ理解不能の神様のようなもの、それを「サムシンググレートsomething great 」と呼んでいるが、その「無限の力の存在・偉大なる何者」かが、我々を生かさしてくれているように思う。
自分の小さな考えではとても生きることなどできない。 人の体・意思・人生はどのようになっているか。
たとえば人の体はなんでできている?DNAという、2本のらせん状のテープに4つの科学の文字の様々な組み合わせによって表される情報が書いてある。その1個の細胞に含まれる遺伝子の情報は30億の科学の文字で成立している。千ページの本を3千冊積み上げた情報量が、肉眼では見ることもできない小さな細胞に詰まっていて、それが、さらに60兆も集まって一人の人の身体はできている。…理解を越えた凄さだ。
その奇跡の組合せの何ものかが、たとえば、まがうことなく、夜、人が寝ている時でも呼吸を可能にしてくれている。 不思議だな。

同じように、
70歳になって感じること
人間一見、公平でない、不平等のように感じることがあるだろうが、
天の神さん・サムシンググレートは、意外と長い目で見ると、公平に正しく人に判定を下していると思うな。
それはオレの小・中・高の同級生を見るとすごくわかることがある。
勉強できてすごい奴が将来出世するかなと思ったら結果は意外とダメなんだよ。
ダメだな、問題児や落第生が以外と元気で長生きして出世している。
俺も同じ勉強好きでない問題児で静高の時は学校行かずによく裕次郎の映画を映画館で一日中見ていた「おいらはドラマー、やくざなドラマ―…」ってね。爆笑。
そんな若い時ダメの烙印押された仲間が意外と「豊か」なんだな。
この歳になって同窓会やると、もう8割ぐらいの真面目な奴はみんな歳とっちゃって、病院の話とか、ガンの話とか、年金の話とか、「サンデー毎日」だな、そんな話ばっかりで、「おいやめろよ。俺達は今青春だぜ」と言うんだが。爆笑。
不思議なんだな。人間と言うのは。
神さんはよくうまいこと人間をつくっている。
若い時にすごい奴は以外とダメなことがある。
逆に先生のいうこときかない悪いことやると目を付けられた奴が、意外と社会に出て、深く生き、交際が広くなって、歳取って素晴らしい人間になっている。
それがこの歳になって不思議だなと思う現実なんだ。
だからみなさんの子供たちがね、別に学園でレギュラーになれないからと言って全然悲観する必要はない。
人生にはもっと大事なことがある。

それを学ぶのが中学、高校の「練習」なんだ。
練習練習練習…練習を、夢中にやる。何かにとり付かれた様に練習する。
「キ」の字がつくほど練習する奴が、
その時レギュラーでなくても、
あとで、その素晴らしい実体験が、力を持って社会で役に立つ。
というのが、俺の70年の人生の経験で、
また学園で40年間教えたなかで、
そうして成功した子供たちがたくさんいることが確信だ。

この前も静岡市のサッカー協会トレセン30周年記念で話をする機会があって、
その時少年を指導している30人の中で俺の学園の教え子が8人。
しかもそいつらはみんな学園のサッカーをやる・ポリシー持って個人技にこだわっている。
あぁよかったな、嬉しいな。最高だな。
種をまいててよかったなと思うんだよ。

しかもその連中も決してレギュラーじゃなかった。
決して学園の時、花開いたわけじゃなかった。
そういう奴らが社会に出て少年を育て活躍している。

「花と咲くより踏まれて育つ草の心が好き」と言われるが、
若い時に花と咲くよりも苦労して、踏まれてだんだん強い美しい花になる。
「雑草の様な人間が将来はきっと勝つ」というのが70年生きた一つの感想だ。

この前ちょっとお寺に行った。
玄関の硝子戸に
面白いことが書いてあったから写してきた。
結構心当たりがあることがある。

題は「天は二物を与えず」

若い時、体は強いが金がない
うまいもの、食いたいけれど金がない
年をとり、金はできたが体が弱り
食べたい物が食べられない

金のある時、暇がない
暇のある時、金がない
お金お金と無理して貯めた
貯めた途端に命がヤバい
(なぁこういうもんだよな人生ってのはなぁ)(爆笑)

家を新築、貯金もできた
肝心かなめの子が出来ぬ
できたできたと喜んで
花よ蝶よと育ててみたら
貯めたお金を湯水と使う

お金も子供もいう事ないが、
貰った嫁が気に入らん(大爆笑)

生んだ子が、親殺す世の中だ
我慢するしか他はない
辛抱するのが当たり前
そういいきかせて生きてきた
ままにはならぬ世の中と
知ってはいるが辛すぎる

二つ揃ってよいことないと
悟るまでには年月かかる
わかりかけたら年老いて
歩くことさえままならぬ
この世の終わり近付いて
ほんに浮世はままならぬ
(あぁよいよい)…これはオレの言葉だ(大爆笑)

欲をかかずに生きていけ
分相応に生きていけ

こんなことなんだよ人生は。

ちょっと酔っ払ってるがまだいいか?
「何時間でもどうぞ」(司会者)(笑)

まあ、
俺の生き方で大切にしていることは、
ポジティブで、楽天的で、あまり悲観しないで、それでもあまり楽観しないで、
現実をそのまま受け入れて生きていこうということだ。

ちょっと堅い話になるんだけど、
ドイツの哲学者のライプニッツが言っている「絶対必然即絶対最善」という言葉がある。
この言葉のような生き方が俺は好きだ。

ちょっと説明すると、
我が身に降りかかってくる一切の出来事は、自分にとって絶対必然であるとともに絶対最善であるということ。

わかりやすく言えば、
ここに川口修と言う男がいるだろ。俺がやめて、(俺を継いで)川口が監督になってすごく良くなっている。
俺が成し遂げれなかったインターハイも県で二連覇している。
で、川口は平成8年にブラジルから帰ってきて強化を始めたばかりの明誠高校にコーチとしていた。
それをオレは後継者としてひっぱってきた。
彼はどういう気持ちで母校のコーチになるということを受けたのかはわからないが、そのことは絶対必然なことだったんだ。そしてそれを受けたことは絶対最善な選択だったんだ。
わかるかな。
斎藤興龍ってのが今日は遠征で居ないんだけどここにいる。
平成4年に全国優勝した時にサッカー教室を開いた。
彼はその時、函南中学の生徒だった。
不器用なな(笑)。いないから言うけどな(爆笑)
ヘタでしょうがないんだけど熱心で、(小学生のスクールに中学生なのに毎週)ずーっと教室に通い続けてきて、高校になって下宿してサッカー部に入ってきたんだ。
そして、高校3年の時、スポーツマッサージ師になる専門学校へ行くっていったんだけど、
俺は「大学は出とけ、大学出とけば何とかなるから」って言って国士館大学に行かせた。
それから、学園に教師として入ってきて、中学の1年でプレミアカップとって、そして3年で岡島が中体連で優勝したんだよ。
それもだよ。絶対必然なんだよ、それも運だよな。
中学の時に何十キロ離れたところから学園のスクールにうまくなかったが通い続けた。
そして高校から国士館そして学園で先生になった。これ最善なんだよ。

ものの見方をネガティブに考えるかポジティブに考えるかだよ。
たとえばここにいる人、俺が知らない人が半分いるけれど、こうやって会えることは何かの縁があってのことだ。
俺がもしも早く死んでいたらあってはいない。
君たちの子供がもっと後にここにきていたなら今あうことは叶わなかった。
必然なんだ。トンピシャリでここであったんだよ。
これが必然なんだ。そして最も良いことなんだ。
今学園に来た、川口に出会い、みんながここにいることは最高にいい事なんだ。
そして、俺も今ここでみんなに話せることは最高なことなんだ。
ちょっと酔っ払い過ぎているけどな(笑)。
そういう発想で生きるならば、いろんな苦しいことや悲しいこと、悩み事があってもいろんなことがあっても、それは大丈夫だよ。

たとえば、あなた方や子供が、いろんな苦しみ、なかなかレギュラーになれないとかケガしたとかあるだろうが、それは与えられた試練であって、乗り越えた先の素晴らしくいいことのためにあるんだ。
親も子も試練は落ち込むことではなくてチャンスなんだ。
苦しみ、悲しみだってチャンス。
たとえばサッカー部40年の中でも学校が理解がないなら、理解がない時ほど頑張って意地でも頑張れるチャンスなんだ。「なにくそ」「よーし」となるチャンスだ。
試練は乗り越えたら素晴らしい新しい世界があるんだ。きっと拓けるんだ。

いいたいことは、
だから…絶対あきらめちゃだめだ。
必ず頑張れば成功する。
そのように世の中はできてる。
そのようになっているんだ。
それが早く成功するか遅いかの違いだけだ。

この前ラジオ聞いていたら、柔道の金メダリスト山下泰裕さんが
「子供みんな可能性がある、みんなよくなる、絶対にうまくなる。早く強くなる人か遅くなってうまくなる人か、ただそれだけの違いだ。だけども、ほとんどの人は途中であきらめちゃうからモノにならない。だからコツコツコツコツ努力できるかどうかが大切だ」 みたいなことをしゃべっていた。

縁あってみなさんの子供さんが学園に来たということは、
なんだかの必然性があった。そしてチャンスが目の前にある。苦しい練習もたくさんある。けれどそれを乗り越える。
そして、最後の最後は社会人となって成功してもらいたい。

プロになるのは何百人に一人、そして一流選手になるのはその中でも一握り、学園の選手で多くのJリーガーいるけれど、本当に活躍で来ているのはほんの5人くらい。

昔、三浦泰年、カズがいたがあいつらは異常に練習した。
その当時おれも30代で若く6時半からの朝練習の30分前に草薙で走っていた。

そしたら泰年達は朝練の前に俺と一緒に走ってからそれから練習する。
それから8時ころに終わる練習の後に自分でまた練習する。
これがまた大事なんだよな。
ホント大事なことだ。
ただ与えられた練習だけをやる選手はダメなんだな。
プラスアルファやる奴だけがスゴクなるんだな。
「キ」の字がつく選手。「こいつバカじゃないか」「サッカー好きで好きでションない」そんな奴。
このくらいになると本物になる。絶対に。

人生でサッカーでも、サッカーのみならず何かにかけるということがスゴく大事だ。
今、青春の時代に中学高校の間にな。

そのこと忘れないでな。

子供たちは、常に夢がある。
絶対あきらめさせないような自身が素敵な親になる。
親の仕事は、しつこくしつこく励ますこと。
学園で勝てなくても社会に出て頑張り勝てばいい。
全然心配いらない。

かっかっかっ。
ありがとうございました。

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振り返れば、出発は誰でも普通  

走りで追い込めすごくスピリットある学年や選手は生活がちがう。
想いも凄いが、ケアも凄い。

一日も一瞬も休まない。

全国に出たある選手が言っていた。
高校の出発が同級で6,7番目のFWだった。
1年はじめの練習試合、自分の出番はアップしてから3時間後だった。体も冷えたが心も冷えた(笑)
どうしてもここで試合に出たいと思った時、

1.自分が誰よりも練習する以外にないとその事実が教えてくれた。
もうひとつ考えたこと、

2.今は上にいるメンバー、きっと落ちてくる。
自分が変わらず粘れば、粘れない奴はきっと落ちてくる。
振り返れば出発は、今を想像できるものではなかった。

想いは力、継続は最強の武器。
こうして男は勝負する。

実力勝負の平等な競争のある世界を選択したことは幸いだった。

15歳の時、彼の前にいた多くの選手は、
20代後半になり、必ずしも平等ではない現実の世界で実力を試され、
笑顔で俺たちにこういう。

「あの時なんで頑張りきれなかったのかって、この歳になって思うんですよ」
例外なくみんなそういう。「おい、脇道は振り返ればそんな面白いもんじゃないぞ。苦しさを受け入れろって昔の自分を過去に戻って励ましたい(笑)」
「今気付くのは難しくない。あのとき気付くのが難しいだけ。『親の恩』とか『夢』とかな」

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まさに、今のキミたちへ贈る言葉  

1年生は6か月が過ぎた。
2年生の挑戦は半分以上過ぎたところ。
3年生はあとどんなに長くても2か月半。

いろんな困難あるたびにゆれないスイッチオンする能力を得よ。
それが常に競争を勝ち抜くベース。
それは、
生活の継続のなかでしか自分の中につくれない。
人は自分の目標と覚悟もって過ごす、うまくはいかない理不尽の中でしか試し鍛えられない。
人生の勝者であるためには、
うまくいかないことすべては自分の責任と受け止め自問し、財産とする。
特に幼稚なお前は、嫌いな奴から足りないものを学べ。
それが人をリスペクトするということだ。

選手権。
生活が試合に出る。結果はすでに日々によって決している。

なかなかうまくなんて行かない。

自分で決めたことしか人はできはしない。
社会と同じでここは目標から逃げるもまた自由だ。
やっている、できているふりは一番みっともない。
夢は時に変わるが立志する男としての生き方の基本は一つだ。
それは極めてあきらめないクリアーなものです。

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真面目なふり  

IDA SOCCER NIGHT SCIENCE 夢に向かう君へ21

 練習を嫌々やらされて身に付く者はいない。練習場でだけ真面目なふりをしてもまともな選手にはなれない。積極的に生活の全てを尽くしてはじめてモノになる。
 「楽」を求めるならば、これから長きにわたり勝負する男の人生で、常に付きまとう「障害」「挫折」という苦しみに耐えることはできない。
 「どのくらいやれば楽になるだろうか」という気持ちは、結局「楽な道」に流れ、最後には「あきらめ」「悔い」という大きな挫折を味わうこととなる。断言するなら「適当に生きよう」とする者に楽しい人生などどこにもない。
 小さな成功に自らを見失って、知らず知らずに調子に乗り、自分を一流と勘違いしてしまう輩は、天下をとることはもちろん、最終的な勝利を得ることはできない。
 ちょっぴりだけ能力が高い、プラスの成績、過大な報道、チヤホヤされたり、少し結果が出ただけで、簡単に勘違いを起こす。小さな成功にウキウキし、謙虚な心をあっという間に失い、自分はイケるとよそ見して、生活も浮つき、軽率にチャラつく。
 お馬鹿な女の視線とメールをひたすらチェックし、最低のバカ面でニヤけ、有名人になったかの如く「自慢メール」を一斉送信する。
 いつの時代も、そんな奴はいるもので、そいつらに共通するのは、自分に甘く、逆境に弱く、自分を大きく見せることに熱心で、自らを冷静に見つめる目を持たないということだ。ぬるさは問題が明らかになる前にすでに蔓延している
 そして予期せぬ結果が与えられると、出す答えは「言い訳」という最終兵器だ。「それみたことか」の嵐の中で次々と出るのは不毛な「弁解」「あれが悪い」「これが悪かった」。真剣勝負に言い訳は効かない。
 勝負に値するのは〝本気な男〟だけだ。本気な男だけが人生という試合に出るべきだ。全員が幸せになれるわけではない。それが健全な競争が存在する世界なんだ。だからがんばれ、男だろ。
本番で力が出ない
 「持っている力が出ない……」
 本番で力を出せない選手がいるという話をよく聞く。それは、日々やりきっていないから「プレッシャー」を感じガチガチになる。すべてを注いでいないから「自分への確信」を持てずにいる。誰にも負けない時を過ごしていないから「あれもやってない! これもやってない」と不安になる。「実力が出ない」のではなく、適当にやっていて「力がない」のだ。
 宮本武蔵が対決をする時、あがったり、緊張したり、興奮したりしていたら、連戦連勝なんてできるはずもなく、とっくに彼は命を落とし歴史は変わっていたはずだ。ギリギリの時をやりきった男は「無」になる。
 「空(くう)の心には善のみがあって悪はない、智恵があり、道理があり、道があって、はじめて心は空である」(宮本武蔵『五輪書』空の巻より)という。それは戦いまでの日常をどう過ごしたか、それに尽きる。
 100回やって95回しかできないから不安が出るんだ。勝負は試合前にほとんど決まっている。弱い選手は、さきに楽をし、あとで後悔する。練習嫌いはサッカーには向かない。一途でない男はスポーツに向かない。

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スイッチオンするのはお前だ  

IDA SOCCER NIGHT SCIENCE 夢に向かう君へ19

 スポーツ選手でも芸術家でも一流と言われる人は、何かのタイミングがあって、その道を一途に、一所懸命に究めようという「心のスイッチオン」をしているものだ。
 そのタイミングが若い時もあれば、苦労を重ねて大人になって悩みに悩んだ末でのこともある。それがいつかは、誰にもわからないんだよ。まあ、誰かへの「恨み」や「妬み」なんかではスイッチオンはしないな。

         *
 昔、カズと話したことなんだが、俺はブラジルに行くのには反対したんだ。「99%無理だ」ってな。
 カズは「1%でも可能性があるなら、それにかける」って。
 だが簡単ではなかった。相手にされない、力不足、偏見……。挫折続きで、「とうてい俺は成功できないんだ」と落ち込んでいたんだ。すでにブラジルで三年目になっていた。絶望にくれていた時、ふとビーチサッカーを眺めていたら、片足の少年が楽しそうにサッカーに興じる姿に出会った。場所はリオのコパカバーナ海岸だった。
 そこでカズは「あの子があんなに楽しそうにサッカーやってる」って思った。その瞬間だったって言ってたな。カズの心がスイッチオンしたんだ。
        *
 誰にも可能性はあるんだ。だがスイッチオンのボタンは自分で苦労して、探して、自分で押すしかない。しかし、これが難しいんだ。
 あきらめない奴が何かの機会にポーンって、それまでの苦しみを突き抜ける時がある。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のように、地獄の底でもがいている時に救いの糸が垂れてくる時がな。
 自分で「どうしたら目覚めますか」なんて言ってるようじゃ絶対にダメだな。

揺らがない、捉われない

 最も大切なことは「揺らがない、捉われない」心を持つこと。
 さまざまな外部環境や結果から来るイライラや、勘違い、不安、挫折、堕落の誘惑に動じず、どんな時でも最高のパフォーマンスを発揮できる心の状態、安定した微動だにしない精神状態で、常に前を向き、快い感じが保てる人が成功する人だ。
 宮本武蔵の『五輪書』に「心の持ちやうは、常の心に替る事なかれ」とある。いかなる時も平常心を持って最高のパフォーマンスが出せないと、当時は死につながったのである。
 また「いつくは死ぬる手なり。いつかざるは生きる手なり」(相手を斬った直後でも、身体のどこかに力みがあったり、たるみがあると、次の瞬間には反撃されて死につながる。そうならないように攻撃する時は一心に攻撃せよ)ともある。
 武蔵も常に生き方の思考を磨き、心の状態が挑戦のスイッチオンとなるような生き方をしていたのだろう。
 では、外的なさまざまな事柄に「揺らがない、捉われない」ためにどうするか。「揺らぐ」とは、ウザいとか、ムカつく、がっかりや不安といった、感情が揺れ動いている状態。「捉われる」は、過去の経験に基づいて脳が勝手に意味づけをし、思い込みをつくり出している状態。
 ちょっと結果が出ると俺は上手いと思う。ちょっと失敗すると「俺はどうせダメ」と揺らぐ。チームで監督やコーチ、主将が何かをやるぞと言っても、選手のほうが「(今までやったが)無理だ」と過去に捉われて実現は難しくなる。
 前進するための障害、最大の敵は、相手ではなく、自分の中にある「捉われ」、目標へ向かう間の「揺らぎ」になる。行きたいところへ行けるのに、それをさせない「揺らぎ、捉われ」をつくり出すことに人間の脳は長けている。
 そのために、多くの人は、できないことの理由を探して、脳に何かしらの意味づけをするのである。
 そうした従来の生き方から脱却していくために重要なのが、自分自身の心の状態だ。いくらテクニカルスキルがあっても、人間の心の状態が揺らぎ、捉われていてはよいパフォーマンスは出せない。

カテゴリ: H30その他

心の生活習慣病   

心の生活習慣病
IDA SOCCER NIGHT SCIENCE 夢に向かう君へ16

 勝負をする男は、負けを潔く認める。それが「鉄則」だと、世の親や教育者も教えないといけない。見栄で上っ面を装って生きてるから言い訳をする。他人の評価が気になって、それが屈辱だと勘違いして耐え切れず、歯を食いしばって生きられないだけなのだ。敗北を認めたくないので、周りのアラを探し、敗北の理由をあてがっている。
 広い視野を持つ人たちは、そんな男を「負け犬の遠吠え」、「評価に左右されるつまらぬ人間」と笑っている。言い訳病は、哲学的には「生活習慣病」だ。
 負けから学ぶ男が最後の勝利者になる。負けには宝が詰まっている。敗北から学び「相手凌駕し支配し続ける努力」は常に具体的なものだ。
 差を埋めるには、自主練、個人生活・学校生活の一分さえも、当たり前のことをライバルよりちょっとずつ余分にがんばる以外にない。集中して練習し、飯を食い、掃除し、本を読み、体を鍛え、一分でも早く寝て、誰よりも早く起きる。そんな日々の積み重ねしかない。

 今日は戦いの最初の一歩だ。

日常の力を100%出せ

 お前たちは強くない、そう教えてくれる現実が常にある。その現実を、チームやお前たちは率直に受け入れられずにいる。その弱さをどう変えるか。
まず、日々の生活を見直すことだ。
勝負は日常だと肝に据えること
生活から軽いものを取り去ること
必要でないものは後にまわす意志を持つこと
 もちろん、お前たちの多くは、サッカーに対する気持ちを少しは自分自身に問えるようになっている。ほかの高校生が遊んでいる時間でも早く寝て、友が寝入っている時間でも早く起きている。そんな努力ができることは幸せだと思えるところまできた。
 
 だが、それでも足りない。選手権予選に自分たちらしく戦い、結果を得るには、どう向かうか。
勝ちたい色気に巻き込まれないこと(勝ちにだけこだわらないこと)
試合を自分たちの日常を100%出す挑戦の場とすること
自分のサッカーをやりきることに集中すること

 特別なことなど何もない。

カテゴリ: H30その他

集団生活の意味   

IDA SOCCER NIGHT SCIENCE 夢に向かう君へ13

 静学では、多くの子が寮で集団生活を送る。そこで三年をかけて、寮での〝つまらないこと〟から大切なことを学ぶ。
 例えば勢いよくションベンすると、掃除する後輩に迷惑がかかるから、できる限り便器に近づき、おとなしくおしっこすること。できることなら大便器に座っておしっこをしよう、と。こうしたことを、自然に思うようになる。
 「気づかい」という、人として最低限持たねばならぬ資質だ。小さなことと思うなかれ。それが大切な社会性を身に着けた大人への道だ。
 今日の日本があるのも、こうした人間の美徳があったからだ。人が作った社会の美しい資質、それを学ぶところが、昔の地域と家庭にはどこにでもあった。それは、そういう気を使う社会性がなかったら生きずらかった時代の、生きんがための知恵だった。  今はその資質がなくても生きられる。普通に暮らすことができるし、逮捕されることもない。だが、社会の質としては貧しいものになっている。「人への気付かい」や「社会性」を学ぶ場所は、大人が準備しなければ欠落した人になる。親が君たちに真に願うことは、ここにある。
 親に弁当をつくってもらったら、送り迎えしてもらったなら、自然に「ありがとう」と言える人になること。親に車で送ってもらっている時、眠くてどうしようもなくなったなら「ゴメン。少し眠ってもいい?」と断る人間になること。運転してくれる親との会話もしないで、メールをピッピッやっていたかつての姿が恥ずかしくなること。そんな大人になった子どもの姿に触れた時、親はすべてが報われるものだ。
 寮生活での〝つまらないこと〟から学ぶことの重要性がわかるか。大人になること、幼稚さからの卒業なのだ。

気付く才能

 入学した時には、すぐ調子に乗り、軽くて幼稚だったFが、トップチームで悩み、学び、考え、こう書いてきた。
 「自分には、他人を尊敬して、素直に物事を受け取れない弱点がある。そういうところを直さないと、試合の流れを読み、指示し、瞬時の準備をすることができない。これでは全国で通用する選手にはなれない。そういうところを直すには、まず落ち着いた生活を送ること。HやIと自分の差は、私生活すべてでそういうことを強く意識しているかどうかの差じゃないかと思う。全国大会三回の先頭に立った先輩の生活を見てそう思った。生活が試合に出ると」
 Fが自分で気付いたところに希望がある。彼の意識された生活の中に、二年になってから自分で始めた寮玄関の掃除がある。Sをはじめ毎日トイレ掃除を絶対に欠かさない一年生がいる一方で、適当に掃除を怠ける一年生もいる。
 意識の高い選手かどうかは一瞬でわかる。匂うのだ。テーブルや廊下も共用部分のきれいさはウソはつかない。
 これが勝利の神に認めてもらう条件だ。寮とその周りは劇的にきれいになり、近所の方々にあいさつができるようになった。挑戦する青年の生活はクリアだ。これに気付くかどうかは、残念だが自分次第なんだ。言われないとできない選手には希望はやってこない。

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